BPDと生きる

10代でBPDと診断されてから今までのことと現在の生活。

出産前20日 今の思い

昨日は、義父の誕生日でした。
私の父より10歳若い義父。
話が合う、ということでもないのだけれど、話しているととても楽しいです。
フロランタンを作って、プレゼントいたしました。
「何でも作れるんやなー!」と感心してもらえた。嬉しい。
正直、自分の父より、旦那のお父さんと話している方がよっぽど気楽です。
結婚して、ちゃんと話を受け止めてくれる義母と義父と家族になれたことは、心強く、嬉しく思います。

 

さて、明日は妊婦健診。
ついでに精神科も受診しようと予約を取りました。
精神科受診は、1か月半ぶりくらい。

しかし精神科。激混みのようです。電話に出た受付の人に「かなりお待ちいただくと思います」と言われた。
前回もかなりの待ち時間だった。待合室はまだかまだかとイライラする患者でいっぱい。

診察で私は、「いつも予約が詰まってるみたいで、なかなか予約取れないんですけど」と訴えました。
医師は「おかげ様で患者さんが増えて…」と言っていたけど。何とか方法を考えればいいのに。
調子が悪いから病院に来ているのに、あれだけ待たされたら余計しんどくなるのは当たり前です。
時間かけて通院するだけでもきついのに、待ち時間というのは本当にげんなりします。疲れます。


もう出産まで20日というところまで迫ってきました。
よくここまでこれたと思う。

妊娠生活を送るなかで苦しんだことはといえば、長男の妊娠・出産時の思い出、というかトラウマです。
確かに、私の考えは甘かったのかもしれない。一人で子どもを育てていくのは大変なことだったと思う。
相手の男性と籍を入れるとか、養育費をもらうのが、母としての務めだったのかも知れない。
それでも、必ず息子を大切にすると決意して、妊娠中から準備していました。

数日前、児童相談所に電話しました。
息子の近況を聞いたり、私の思うことを話したり。
息子の様子については安心できたけれど、消化できないのは児相の対応に関する不満です。
相手に不満や怒りを伝えても、今更どうしようもないのは分かるのだけど。
絶対に、電話する中で感情的にはならないと決めて、ある程度のラインまでは、思いを伝えました。

私が伝えたこと

・電話で間接的に息子の様子を聞けても、実際にはもう長く会っていない。どんな姿をしているのか、どれだけ成長したかも分からないのが淋しくて悲しい。
・里親さんのところに行ったら、連絡をとることも会うこともできないのは、息子が0歳1歳のころに聞いた説明と違った。理由を聞けば納得はできるけれど、連絡できないというのは、つらいしショックを受けたので、事前に説明して欲しかった。
・二度と息子と連絡をとることはできないのか。
・息子は私のことを母親だと分かるのか不安。
・母親として今何ができるか分からない。
・私が息子と引き離された理由は何か。精神障害があるから、育児ができないと判断されたのか。

児相担当の職員さんは、淡々と返事をしたり、話を続けていたけど、言葉の節々に怒りがにじみ出ているのが伝わってきた。
母親として、無責任で勝手なことを言っているという風に受け取ったのではないかな。

児相側から言われたこと

・今の○○君の年齢は、お母さんとの関係を築く段階でなく、周りの大人や友達との関係を広げていく時期。0歳1歳の時とは違う。
・楽しく生活しているのに、環境が変わったら○○君が混乱する。
・お母さんが施設へ面会に通い続けるのでなく、面会に来たり、調子が悪くてしばらく来れなかったり、ムラがあることで、○○君の中でお母さんのイメージ像がうまく出来上がっていない。
・○○君の措置は、お母さんが○○君を籍から外したいと言ったり、面会に来たり来なかったりしたことなど、お母さんの一貫性のない対応について、関係職員で話し合った結果。
・ときどきこうして電話連絡してきて、○○君の成長を見守り、楽しみにすることがお母さんの役目。


一通り話をしたところで、相手の怒りがひしひし伝わってきて、私まで感情的になってはいけないと、話を終了。電話を切りました。
「お母さんのイメージがはっきりしていないことから、愛着障害にもつながっている。○○君は自分の存在、自分のルーツについて思い悩むときが来ると思うので、児相としては心のケアをしていきます」
そう説明を受けた。私は「小さい頃に母親の愛情をしっかり与えられないのは不安で、息子の将来の心の葛藤になる」と児相にも施設にも、ずっと伝えてきていました。
不安が現実になってしまった。息子には、私のように自分の存在価値がわからない人間には、絶対したくないと思っていたのに。
電話を切って、やっぱり涙が出てきた。

「たられば」の話は見苦しいから嫌だ。こうしていつまでも怒りと不満を抱え続けるのは嫌だ。
これから、夫と生まれてくる息子を大切に育てていくところ。
ずっと怒りを抱え続けるのは苦しい。

つらいことばかりだった長男の妊娠・出産。
誰一人、息子と私が一緒に生活していく方向には、応援してくれなかった。
私自身が弱く、しっかりしていなかったのは、勿論一番の原因。
それでも周りのみんなに少しでも応援してほしかった。
息子を大切に思えば思うほど、精神に不調をきたして、余計信用を無くしていったのは、私の弱さ故だろう。

私だけが悪いのか。どれだけ周囲が私のことを否定しても、もっと真っ向から闘いを挑んでいけばよかった。
いろいろと、無知だったし、無力だったと思う。はっきり物事を言わないといけなかったと思う。流されてはいけなかった。
何があっても息子は私が守るのだと、周囲の言動にどれだけ傷ついても、腐ることなく立ち向かうべきだった。
過去の私に喝を入れたいと思っても、もう今更なんともできない。


父に、生まれてきた子に父親がいないといじめにあうと言われたとき、何があっても私が必ず守ると言い返せたら。
母が産科医に、この子は精神病で正常な判断ができないから中絶しないと泣いて訴えたとき、病気であろうがなかろうが、私は生んで育てたいのだと強く訴えることができたのなら。
淋しくて心細いからと、息子の父親でもないいい加減な男と付き合うことがなければ。
祖父母に産後の手伝いを頭を下げてお願いすることなく、はじめから一人暮らしの部屋でシングルマザーとして子育てしていくのだと決意できていたなら。

出産後、精神薬や安定剤を飲んでいても授乳はできるという知識があったなら。
母乳を止める薬を渡されるままに飲み込むことがなければ。
どれだけ乳児院に連れていくと言われても、あの手この手で説得されても、私は絶対引き下がってはいけなかった。
連れていかれた後も、挫けずに不服申し立てをすればよかった。

児相職員に、自傷の痕を見せてと言われた。暴言なのでは?
今住んでいるアパートは騙されて契約している、別の所を探すようにと言われ、私が他の物件をあたった上で正当な契約だったと証明しても、言葉を濁してその話題はなかったことにされた。
施設職員に、この子を連れ去って逃げたいとか考える?と訊かれた。
泣き寝入りするんじゃなかった。
冷静に、おかしいことはおかしいと訴えるべきだった。

児相職員、施設職員、親、祖父母、当時の恋人。
それぞれの言動に傷ついて、自傷したり、自殺を試みたり。そんな行動しかできなかった。
強くあることができたなら、どれだけ理不尽な言い方をされても、屈することなく息子と引き離されることはなかったはず。

みんなに、応援して欲しかった。
支援して欲しかった。
周りの対応に関する不満は、数えきれないほどある。

精神的に調子を崩せば、子どもと引き離されるという恐怖が私の中に巣食っている。
マタニティブルーや産後うつになんかなれば、子どもと引き離されると、自分自身の不調に怯えている。
どうしたらいいのだろう。
病院でも、不調を見せたら、子どもは連れていかれて会えなくなるのではないかと不安になる。
弱みなど見せられないと、構えてしまう。

明日、余裕があれば、精神科医に少し話を聞いてもらおう。
待ち時間によっては、諦めるけれど。楽になりたい。